学問という翼を。人類の叡智という武器を。
世界を、自分の決断で生き抜くための羅針盤を——ここで。
栗原ゼミでの学びは、大学に入ってから始まる4年間で完結する話ではありません。1〜2年で考える力の基礎を耕し、3〜4年でゼミに打ち込み、卒業後も学び続ける。長い時間軸の中で、ゼミは点ではなく線として機能します。
教養科目で、考える力の基礎を養う。
専門科目で、問題解決力のパズルのピースを集める。
集めたピースをつなぎ、使う。
問題解決力と、課題設定力の基礎をつくる。
継続的に学べる場(栗原ゼミアルムナイ)。
志を共有する仲間と、チャレンジできる環境を創る。
リーダーになる必要はありません。けれど、必要な時にリーダーシップを発揮できる人になってほしい。この考え方に共感できる人と、一緒に学びたいと思っています。
大学とは何か。ゼミとは何か。
栗原ゼミは、その問いから始まる。
「大学なんか行っても意味ない」——
若者の選択を否定する
そんな夢のない言葉を言わない大人になるために
充実した大学生活を。
徹底的に考え、議論し、表現する。知的成長による楽しさは、楽な道の先にはありません。
栗原ゼミは、学ぶ意志、変わる意志を持つ人が来る場所です。自己責任で過ごす2年間は、強制されないという厳しさがあります。
「自分はこれに打ち込んだ」。在学中にそう言い切れる過ごし方をしたい人に、この場所は応えます。
本来、大学は研究者の卵を育てるための「学問」をする場所でした。学問とは、「自ら問うて学ぶ」主体的な学びを意味します。だからこそ大学生は、生徒とは区別して、主体的に学ぶ存在として「学生」と呼ばれてきました。
学生は専門分野に分かれ、自分が目指す分野の先人の叡智の継承を目的に学びます。「科学」が「分けた科ごとの学」と言われるように、目の前の現象全体をそのまま理解するのは難しく、現象を分解して「狭く・深く」掘り下げることで世界の謎を解き明かそうとしてきました。会計学もまた、社会科学の一領域として情報提供の在り方を追及しています。
大学の学びは、それぞれの専門分野が「深く・狭く」独立して成り立っているため、他分野の知識とどう関連し、全体としてどう考えるかという総合的な学びの機会は多くありません。また、大学は研究者の卵として「過去に明らかになったこと」の継承が中心であり、「その知識を実社会でどう使うか」を学ぶ機会は多くないのです。
しかし現実には、多くの学生が研究者の卵ではなく、社会人になる最後の教育機関として大学に進学し、総合的かつ実践的な学びを期待しています。これはどこの大学がどうこうの問題ではなく、大学という制度と学生の期待との間にある、構造的な期待ギャップです。「大学に行ったけど意味が無かった」という声の原因は、ここにあります。
栗原ゼミのカリキュラムは、この期待ギャップを具体的に埋め、「①単なる知識の山から、実際に使える課題解決力に変える」ことを最低ラインの成果として設計しています。課題解決能力は、今後10年程度で生成AIとの関係で大幅に陳腐化するからこそ、これは出発点に過ぎません。そのうえでAI共生社会を前提に、「②現実の世界から問題を発見し、課題を設定する力」「③複数の解決策の中から、最も望ましいものを選択する力」を育てることを目的にカリキュラムを設計しています。②③は、グローバルに見てもMIT・Stanford・Harvardなどで行われている先進的な取り組みと方向性を同じくするものです。
在学中という限られた期間では、②③は「種を植える」ことしかできない可能性があります。①については、本人の取り組み次第で、ある程度「実感できるレベル」になると考えています。
ゼミは「ゼミ生の主体的な態度」を原動力として運営されるものです。栗原ゼミでは、ゼミを「就職前の最後の教育の砦」と位置付けています。社会に出れば、私たちは自己責任で行動することを求められます。だからこそ、自己責任とは何かを明確に定義したうえで、社会に出る前に「自己責任で学ぶ」体験をしてもらいます。
栗原ゼミでは、ゼミ生に「やりなさい」といった管理をするつもりはありません。卒業後の栗原ゼミアルムナイへの参加も、完全に任意です。入ゼミ希望者には、「育ててもらう」のではなく「自分で伸びる」ための場所を得るという意識が必要です。
知識を増やすことが、目的ではありません。
知識を使って世界の見方を変え、
自分の思考のOSを更新する。
私は大学教育を、ビュッフェレストランのようなものだと考えています。良質で、多様で、栄養のある学びを用意するのが教員の役割。何を選び、どれだけ取り、どう自分の血肉にするかは、学生に委ねられています。
栗原ゼミは「育ててもらう場所」ではありません。自分で学びを取りに行く人が、より大きく成長する場所です。会計、経営、組織、戦略、人間理解、社会、哲学、AI、キャリア、卒業生との対話——国内最高峰のメニューをそろえています。
正解のない世界を、自分の決断を信じて進むための確固たる軸を手に入れるためです。誰かのために勉強するのではありません。自分のために勉強するのです。現実の世界は、教科書の章立て通りには分かれていません。企業の問題には、会計も経営も人間も社会も技術も絡み合う。知識は道具に過ぎません。これから必要なのは知識そのものではなく、何を問題と設定し、どの知識を使い、その判断を自分で引き受けられるかという力です。
3年次は、課題の要点分析と解決能力を育てます。会計とマネジメントを学び、財務情報から企業の実態を読み取り、経営課題の解決の要点を見つける。4年次は、「良い企業とは何か」という根本の問いに向き合い、「問題発見と課題設定能力」「解決策の選択能力」の種を植えるためのプログラムを行います。生成AIも活用しながら、自分なりの判断軸をつくります。
専門性と、企業を幅広く俯瞰する力。3年次はこの二つを、アカウンティング分野とマネジメント分野に分けて訓練します。基本は事例検討形式です。
「実際の企業の状況」と「財務諸表上の表示」の関係を、企業会計原則・企業会計基準を前提に分析します。狙いは、財務会計論で学んだ知識をもとに、現実の経営実態を会計のルールで財務諸表へ自在に翻訳し、逆に財務情報から企業の実態を再生して語れる力。とりわけ財務領域の能力を実装します。栗原ゼミは制度上、財務会計を専門領域とする専門ゼミとして位置づけられており、その専門性をしっかり磨きます。
理念・戦略・組織・人・会計を横断する学際的プログラム。現実の経営課題は一つの学問領域に切り分けられず、複雑に絡み合います。シンプルな事例から徐々に複雑な事例へ進み、最終的に「不確実な環境下への対応」を扱います。課題解決そのものはAIで陳腐化しますが、「解決の要点」を特定し、具体的な解決案をコーディネートする力は、AIと組み合わせてこそ武器になります。この力を育てることに重点を置きます。
卒業研究と連動し、「良い企業とは何か」という抽象的な問いに向き合います。3年次で課題の要点分析・解決能力を育て、4年次では「問題発見と課題設定能力」「解決策の選択能力」の種を植えます。
同じものを見ても、他者が気づけない問題が自分には見える──その力の源泉は、「多分こうだろう」という自分なりの基準と現実とのズレ(違和感=予測誤差)です。基準が無ければ違和感も生まれません。哲学や社会学の知見を援用して「良い」という抽象概念と向き合い、自分なりの判断軸をつくることで、この力を高めます。
「ある視点では良いが、別の視点では良くない」と気づける事例を検討し、「良い」という言葉の階層性・多様性を実感します。トロッコ問題のようなシンプルな題材から、「資本主義の功罪=経済成長と格差」「ホワイト企業と成長機会=楽なことは良いことか」まで。これは一見、財務会計から外れて見えて、実は会計の最重要論点である「認識」を拡張したものであり、会計的な学習成果の下地になります。
「自分なりの“良い”を定義し、それを現実の世界から識別するための要件にして、文章化する」。生成AIの適切な使い方の指導を含め、積極的に活用します。一度自分で判断軸を構築し、世の中の現象を分析した経験は、成長とともに自分の力で更新していける点に大きな意味があります。
従来重視された「課題解決力」は、既に明らかな課題をどう解くかに過ぎません。AI共生社会では、課題解決を人間が担う価値は急速に後退します。より重要なのは「AIに何を解決させるか」を考える力。多面的に解釈し評価する力を育て、問題発見・課題設定能力の種を植えます。
講義を基礎として、徹底的に考え、議論し、表現する。ケース分析・ディスカッション・プレゼン・レポート・卒業研究。事例を読み、問いを立て、他者と意見を交わし、自分の結論を言葉にする。この繰り返しで、知識は現実を考える道具になります。
世界のトップビジネススクールの教育思想を、学部ゼミの文脈に再構成する。栗原ゼミの教育プログラムの特徴へ。
栗原ゼミの学びは、世界のトップビジネススクールが磨いてきた教育メソッドを、
学部教育の文脈に翻訳して設計されています。
栗原ゼミおよび栗原ゼミアルムナイの学びは、主要なグローバルMBAで重視されてきた教育メソッドや教育コンセプトを参照しつつ、それを学部教育の文脈に合わせて再構成することを基本方針としています。これは、日本の教育が海外に劣っているという意味ではありません。研究者育成のための知識の継承をはじめ、日本の大学教育が世界に通用する部分は数多くあります。
一方で、知識を実践的に現実へ適用し、不確実な状況に働きかけながら望ましい成果を実現していくマネジメント能力の育成については、米国や欧州のMBAにより長い蓄積があると私は考えています。
ただし、目指しているのはMBA教育の模倣ではありません。MBAは主に社会人経験者を対象に、経営者・リーダーとしての意思決定力を高める教育です。栗原ゼミは、これから社会に出る学部生を対象としています。だからこそ、MBA的教育のエッセンスを取り入れながら、実務経験や前提となる専門性の不足を考慮したプログラムを構築し、学部生が次世代のリーダーになり得る力を育てることを目的としています。
栗原ゼミが採用するケースメソッド型の教育は、Harvard Business Schoolに代表されるビジネススクール型教育を参照しています。現実に近い事例をもとに、事実を読み取り、理論を用いて分析し、最終的に「自分ならどう判断するか」を考える。知識の暗記ではなく、不完全な情報の中で状況を把握し、複数の選択肢の中から意思決定する力が問われます。
MBAでは社会人経験者を対象に、実務経験や専門性を前提に膨大な事例情報や財務数値を読み解く訓練が行われます。栗原ゼミでは学部生を対象とすることを踏まえ、数値分析そのものを目的化せず、特定された事実をもとに、理論分析と判断のプロセスを重点的に訓練します。数値分析は重要ですが、AIや外部専門家に支援されやすい領域です。これからの時代により重要になるのは、分析結果をどう解釈し、どの理論で意味づけ、最終的に何を選択するかという判断の部分です。理論の階層に応じて段階的に複数のケースを配置し、理論学習と実践的な分析・判断を経験していきます。
Stanford Graduate School of Businessの教育は、単なる経営スキルの習得にとどまらず、個人の変容、リーダーとしての自己理解、イノベーション、社会的インパクトを重視します。経営者として「何をするか」だけでなく、自分は何者として、何を変えようとするのかが問われます。
栗原ゼミでは、この考え方を課題設定力の育成として取り入れています。現実の社会では、問題は最初から明確な形で与えられるわけではありません。重要なのは、自分なりの基準を持ち、現実とのズレに違和感を覚え、それを問いとして言語化する力です。だから栗原ゼミは「自分なりの“良い”を定義する」「何を問うべきかを考える」という学びを重視します。これは、単に問題を解く力ではなく、そもそも何を問題として捉えるのかを考える力です。
MIT Sloan School of Managementは、技術・データ・イノベーションを活用し、知識を現実に実装することを重視するビジネススクールです。栗原ゼミは技術そのものを専門的に教えるわけではありませんが、技術と社会の関係、とりわけ近年ではAIと人間の関係を前提に、知識や理論を現実の課題解決に結びつける力を重視しています。
生成AIの発展により、情報収集・整理・文章化・一定の分析や解決案の提示は、急速に効率化されています。だからこそ人間には、AIを使って何を実現するのか、AIに何を問うのか、AIが提示した選択肢をどう評価するのかという上位の判断力が求められます。栗原ゼミは、AIを単なる便利な道具としてではなく、これからの社会の前提として捉え、AI時代における人間の役割を考えながら学びを設計しています。
INSEADは、多文化環境の中で、自分とは異なる価値観と向き合いながら判断できるリーダーを育てることに特徴があります。栗原ゼミでも、価値観の相対化を重視しています。私たちは、自分が当然だと思っている社会の仕組みや価値観を、普段は疑わずに生きています。けれど、経済、政治、法、労働、家族、企業、資本主義、民主主義といった社会の構造は、決して唯一絶対のものではありません。
それらを批判的に検討し、相対化することで、自分たちの常識が特定の時代や社会の中で形成されたものであることに気づくことができます。この気づきは、他者の価値観を理解するためにも、自分自身の判断軸を磨くためにも重要です。仲間との対話、ケース検討、哲学・社会学的な視点を通じて、自分とは異なる立場や価値観を理解し、そのうえで自分なりに判断する力を育てます。
3年次は、課題の要点分析と解決能力を育てます。会計とマネジメントを学び、財務情報から企業の実態を読み取り、経営課題の解決の要点を見つける。4年次は、「良い企業とは何か」という根本の問いに向き合い、「問題発見と課題設定能力」「解決策の選択能力」の種を植えるためのプログラムを行います。生成AIも活用しながら、自分なりの判断軸をつくります。
専門性と、企業を幅広く俯瞰する力。3年次はこの二つを、アカウンティング分野とマネジメント分野に分けて訓練します。基本は事例検討形式です。
「実際の企業の状況」と「財務諸表上の表示」の関係を、企業会計原則・企業会計基準を前提に分析します。狙いは、財務会計論で学んだ知識をもとに、現実の経営実態を会計のルールで財務諸表へ自在に翻訳し、逆に財務情報から企業の実態を再生して語れる力。とりわけ財務領域の能力を実装します。栗原ゼミは制度上、財務会計を専門領域とする専門ゼミとして位置づけられており、その専門性をしっかり磨きます。
理念・戦略・組織・人・会計を横断する学際的プログラム。現実の経営課題は一つの学問領域に切り分けられず、複雑に絡み合います。シンプルな事例から徐々に複雑な事例へ進み、最終的に「不確実な環境下への対応」を扱います。課題解決そのものはAIで陳腐化しますが、「解決の要点」を特定し、具体的な解決案をコーディネートする力は、AIと組み合わせてこそ武器になります。この力を育てることに重点を置きます。
卒業研究と連動し、「良い企業とは何か」という抽象的な問いに向き合います。3年次で課題の要点分析・解決能力を育て、4年次では「問題発見と課題設定能力」「解決策の選択能力」の種を植えます。
同じものを見ても、他者が気づけない問題が自分には見える──その力の源泉は、「多分こうだろう」という自分なりの基準と現実とのズレ(違和感=予測誤差)です。基準が無ければ違和感も生まれません。哲学や社会学の知見を援用して「良い」という抽象概念と向き合い、自分なりの判断軸をつくることで、この力を高めます。
「ある視点では良いが、別の視点では良くない」と気づける事例を検討し、「良い」という言葉の階層性・多様性を実感します。トロッコ問題のようなシンプルな題材から、「資本主義の功罪=経済成長と格差」「ホワイト企業と成長機会=楽なことは良いことか」まで。これは一見、財務会計から外れて見えて、実は会計の最重要論点である「認識」を拡張したものであり、会計的な学習成果の下地になります。
「自分なりの"良い"を定義し、それを現実の世界から識別するための要件にして、文章化する」。生成AIの適切な使い方の指導を含め、積極的に活用します。一度自分で判断軸を構築し、世の中の現象を分析した経験は、成長とともに自分の力で更新していける点に大きな意味があります。
従来重視された「課題解決力」は、既に明らかな課題をどう解くかに過ぎません。AI共生社会では、課題解決を人間が担う価値は急速に後退します。より重要なのは「AIに何を解決させるか」を考える力。多面的に解釈し評価する力を育て、問題発見・課題設定能力の種を植えます。
栗原ゼミは、グローバルMBAの教育思想を参照しながら、学部ゼミという場に合わせて、ケースメソッド、理論分析、課題設定、AI活用、価値判断を統合した教育プログラムを実践しています。目指しているのは、単に知識を持つ人材ではありません。
技術を活用し、他者の価値観を理解する。
理論を用いて、客観的・科学的に状況を分析する。
そして最後は、自分の判断として選択し、その結果を引き受ける。
栗原ゼミが育てようとしているのは、このような意味でのリーダーです。
現代社会は、AI技術の発展や価値観の多様化により、これまでの延長線上では予測しにくい変化の中にあります。そのような時代に必要なのは、既に与えられた課題を解くだけの力ではありません。
必要なのは、何を問題として捉えるのか、何を解決すべき課題として設定するのか、何を良いと判断するのか、どのようにAIや仲間の力を活用するのか、そして最後にどの選択を自分の責任で引き受けるのかを考える力です。
栗原ゼミは、個人ゼミとしての機動力を活かし、社会の不連続な変化を前提とした新しい時代のリーダーを育てるための教育に挑戦しています。
不確実な世界を生き抜くための、
助け合いのネットワークを創る。
不確実な世界を生き抜くための、
助け合いのネットワークを創る。
現代社会は、AI技術の発展や価値観の多様化により、予測不能な変化の中にあります。これは悲観すべき状態ではなく、「予測して準備する」発想から、「環境変化に柔軟に対応できる適応力を上げる」発想へ切り替えることで対処できるものです。適応力を上げるとは、個人の力で立ち向かうのではなく、異なる個性や視点を持つ者同士が深く結びつき、チームとしての総合力で状況に向き合うアプローチです。
栗原ゼミは、授業としての関係を超え、学生が望めば生涯つながり続けられる学びの共同体を目指しています。2025年10月時点で、現役生と卒業生をあわせて100名超。近年は卒業生だけの勉強会にも毎回20名以上が参加し、世代を超えて価値観を共有する関係が育っています。
「アルムナイ(Alumni)」は、ラテン語 alumnus(育てられた者・弟子)に由来し、欧米の大学では「卒業後も知を共有し合う学びの共同体」を指します。栗原ゼミでは性別で区分するOB・OGという呼称を用いず、すべての卒業生を包括する呼称として「栗原ゼミアルムナイ」としています。参加は任意です。望む人に、卒業後も学び続けられる場を用意しています。
「エリートを育てる」ために教育を行っているわけではありません。社会は幸せな人間が集まることで幸せになるのであり、人間を社会のための道具として扱うべきではない──そう考えています。教育はあくまで学生本人のためのものであり、社会の豊かさは結果に過ぎません。
ここでいう誠実とは、自らの行為の結果に責任を引き受ける覚悟(Integrity)です。だから教育は単なる熱意ではなく、合理的に設計されるべきものと位置づけています。とはいえ、これは教員側の覚悟の問題であり、学生に成果の期待を押し付けるものではありません。
私の教育は、科学的根拠に基づいて目的合理的に設計された、成果のコントロールが可能なプロセスという前提で行っています。文系の学問・科学が机上の空論ではなく、現実に影響を及ぼせるツールであることを示すこと自体が、学びへの好奇心を刺激すると考えるからです。一方、「そもそも何を目的・成果とすべきか」は、哲学という先人の叡智との対話を通じて探求しています。専門家である以前に教養人であるべき、という姿勢の具体化です。
この設計の基盤には、生成AIの設計原理や性能的限界、計算資源・電力の制約と技術進化の見通しがあります。また、好奇心の神経科学的なメカニズム、直感力の強化(認知科学・行動遺伝学)、不確実な環境下で勝ち筋を見出す複雑系科学・創発戦略・イノベーション・マネジメントの理論も、設計に落とし込んでいます。プロ講師として約25年、延べ一万数千名を指導してきた経験と、教養・科学の知見を総動員して設計されたのが、いまの栗原ゼミです。
栗原は2026年に50歳を迎えます。コミュニティの持続可能性の観点から、栗原個人に依存した属人的な運営からの脱却が課題です。年齢的に、在学生の受け入れは25〜27期生程度までが現実的なライン。その後は、卒業生で構成される栗原ゼミアルムナイへと移行していきます。
今後は、卒業生自身が主体的に運営する自律的な体制へ移行します。栗原が関与しなくても、卒業生同士が支え合い、学び合い、助け合える関係が自然に機能すること。それが目標です。まずは10期生を中心に、仕組みづくりを進めていきます。
受け入れ上限を27期生と見込むと、12〜15期生は現役生と卒業生をつなぐ重要な世代です。そのため12期生以降は、少人数での深い対話を重視し、ゼミ生同士のディスカッションに加えて、栗原との個別対話や卒業生との連携を強化する形へと移行しています。
伸びる人、来るべきではない人。鍛える五つの力。そして、選抜で重視すること。
合わないことは、能力の否定ではありません。別の場所の方が、大きく伸びる人もいます。
志望純度 = ゼミとの適合性 × 学ぶ意欲
選抜を行う上で問題となるのは、選抜資料に書かれた言葉だけでは「志望純度の高さ」が評価できないということです。そのため、志望純度の高さを評価する重要な指標として、「①栗原の担当科目の履修状況」「②これまでのゼミ見学、質問・相談などの学ぶ態度」という、応募時点までの実績を重視して選抜を行います。
これらは「ゼミとの適合性」を評価する上で重要であることは当然ながら、同時に「やる気」を評価する上でも重要な指標になります。なぜなら、①は履修ガイダンス資料に「履修状況が選考時の基準となる」と明記されており、②は簿記や財務会計論の授業で「質問状況等が選抜時に影響する」と明確に説明されており、「やる気」のある学生であれば、条件を満たすように行動することが十分可能であったからです。そのため、①②の実績が既にある学生は「学習内容への興味=ゼミとの適合性」「やる気」が行動で証明済みと評価できることになります。
一方で、応募時点での実績が無い学生を排除するつもりはありません。このゼミ選考において、初めて真剣に所属ゼミに向き合った学生も多いはずです。面談でのやり取りや志望理由の記載で、志望純度がしっかりと確認できれば入ゼミは可能です。
なお、入ゼミ予定者は、2月頃から5回程度のプレゼミ・プレ合宿があります。
11月頃、財務会計論Ⅱの授業内で説明。興味を持ったら、配布資料のQRからオープンチャットに登録してください。
月曜の3・4限(4年)/5・6限(3年)。内容的には5・6限がより参考になります。先輩の様子もぜひ。
エントリー希望者は予約制(先着)で面談。対面・オンライン・集団形式のいずれか。志望純度を確認します。
※ 連絡は原則オープンチャットに一元化。メールでの個別対応は行いません(プライベートな事情を除く)。
リーダーになる必要はありません。けれど、必要な時にリーダーシップを発揮できる人になってほしい。この考え方に共感できる人と、一緒に学びたいと思っています。